宇宙科学のスーパー SINET

大学院理学研究科 地球物理学専攻 飯島雅英
大学院理学研究科 地球物理学専攻 熊本篤志

はじめに

 従来の SINET は,大学や研究機関等が相互接続するためのインターネット バックボーンとして運用されてきました。平成14年1月から運用を開始したスー パーSINET は,多量のデータを扱う先端学術研究を支援することをその目的と しており,ここでご紹介します宇宙科学のスーパー SINET は,その中の一つ に位置づけられています。宇宙をその研究対象とした高速ネットワークには, 国立天文台を中心とした天文学の分野のものと,宇宙科学研究所を中心とした 人工衛星,惑星探査体,ロケット等の宇宙の飛翔体観測に主に関わる分野(宇 宙科学分野と呼ぶことに致します)のものがありますが,ここでは後者の高速 ネットワーク,スーパーSINET 宇宙科学に焦点をあてて,宇宙科学研究所を中 心とした全体像についてまず概要をお話し,続いて東北大学の研究グループの 具体的な関わりについてご紹介します。

スーパーSINET宇宙科学の全体像

 スーパー SINET は,先端科学分野を擁する機関同士を10Gbpsの超広帯域の 回線で接続して,汎用 IP バックボーンを実現するとともに,各分野ごとに1 Gbpsの専用帯域をもつ Gigabit Ethernet のブリッジを提供しています。ここ でお話するのは,特にこの後者のネットワークで,私たちが関わる宇宙科学分 野では,平成13年度に,宇宙科学研究所を中心として,東北大学,東京大学, 国立天文台,名古屋大学,京都大学の各研究機関の宇宙科学関連分野の間が Gigabit Ethernet の専用回線で接続され,さらに平成14年度には,北海道大 学,東京工業大学,大阪大学,九州大学が擬似的な専用回線(MPLS) で接続さ れ現在に至っています。この両者の間には厳密には若干の違い(前者は常時1 Gbpsが確保されているが,後者は保証されていない)がありますが, 基本的にその高速性を最大限に生かすために,宇宙科学研究所のネットワーク 資源に Firewall を介さないで直結する構成をとっています(図1参照)。す なわち各大学との間の Gigabit Ethernet のブリッジは,宇宙科学研究所から 見ると,そのサブネットとして扱われ,このため,原則的に各大学等の研究機 関 LAN とは独立して運用されており,本学でも TAINS とは独立した回線となっ ています。


図1 : 宇宙科 学研究所を中心としたスーパー SINET 宇宙科学の構成

 このスーパー SINET 宇宙科学に参加する各研究機関は,平成13年度から度々 会議を持ちこの高速ネットワークの有効利用について検討を進めて来ました。 平成14年1月15日の宇宙科学研究所 PLAIN センターシンポジウム「高速ネット ワーク時代の宇宙科学」では,平成13年度に接続が終了した機関が中心となっ て,「宇宙科学研究環境の大幅向上のためにスーパー SINET をいかに使うか」 をメイントピックとして「スーパー SINET が関わる宇宙科学プロジェクト及 び他プロジェクトの現況紹介」,「各研究機関からの利用提案」が行われ,基 盤技術の確立( TV 会議,データ高速伝送,計算能力 network 結合,セキュ リティー等),新規研究手法の開拓(データ解析,数値実験等),新規研究機 会の創出(工学設計,衛星開発・運用,教育・広報等)といった内容を,他の スーパーSINET プロジェクトと連携しつつ具体化して行くことが合意されまし た。平成14年9月30日には,これらのそれぞれのテーマについて,14年度の接 続機関を含めた検討会が東京大学で持たれ,その利用の現状についてまとめる とともに,これら各項目に対して以下の様な具体的な実施案にまとめられ,そ の実施に入りました。

1) 高速通信技術の基盤技術の確立

 桁違いに高速なネットワークを宇宙科学分野で有効利用するために,「高速 伝送手法」,「遠隔地との情報交換手法」,「計算能力のネットワーク結合手 法」等の基盤技術の確立が必要です。スーパー SINET 宇宙科学では,各研究 機関間の NFS による直接接続, Tele-Conference 利用法の検討などが進めら れています。またスーパー SINET の広帯域性は既存のプロトコルでは十分に 生かし切れない点も指摘されていますが,その点において,東大・情報基盤セ ンターグループによる「データレゼボワール実験」に注目しています。

2) 高速通信回線による新規研究手法の開発

 高速ネットワーク回線を有効に利用した研究手法を開拓するために,「データ ベースの相互接続」や「ネットワークベース解析システム」を検討しつつあり ます。その具体的一例として,宇宙科学研究所の宇宙データベース LAN(DARTS) と国立天文台の天文データベース LAN(ADAC) を直結することで相 互のデータベースを高速に利用が可能となり,その一部は実際に利用に供され ています。また,各大学等の研究機関がそれぞれ有するデータベースをネット ワークで結合して利用する解析環境,「バーチャルデータベース」の考え方を, この高速回線を用いて具現化することが検討されています。

3) 高速通信による新規研究機会の創出

 宇宙科学研究所を中心とした科学衛星開発等の作業は,施設等の関係から同研 究所に直接赴いて必要な実験等を行うことがこれまで一般的でした。しかし, この高速回線による「あたかも隣の部屋にいるがごとき作業環境」の実現は, 各大学等の研究機関からの参加をより容易なものとし,新たな研究機会の創出 につながりつつあります。既に,現在開発やミッションの検討が進められてい る科学衛星,惑星探査機に関連して,定期的なサブシステム TV 会議や試験デー タの実時間伝送等が開始されており,作業効率の向上と柔軟なマンパワー確保 につながっています。また,ネットワーク経由での公開セミナーやプロジェク ト会合等も広がりつつあります。このような利用が,宇宙科学研究所と各大学 研究室間のみではなく,参加している各大学間でも可能となっている点も,新 たな研究機会を生む原動力となっています。

東北大学の宇宙科学研究グループの関わり

 東北大学の宇宙科学研究グループは,スーパー SINET 宇宙科学の活動にその 運用の当初から参加しています。本学の宇宙科学研究グループは,日本におけ る人工衛星,惑星探査体,ロケット等の飛翔体による宇宙の直接観測研究に 1970年代から深く関わってきた歴史をもっています。このような伝統を背景と して,現在も,多くの運用中の飛翔体観測に関わっている他,今後実施される 将来計画にも中心的な研究グループとして参加しています。このような背景を もって,東北大学の宇宙科学研究グループのスーパー SINET の活用は,まず これらの飛翔体による宇宙観測研究に関わる分野から開始されています。
 本学の宇宙科学研究グループは,理学研究科の天文学専攻と地球物理学専攻 にまたがり存在しています。天文学専攻の研究グループは,我が国初の本格的 な赤外線天文衛星である ASTRO-F (図2参照)や我が国5番目のX 線観測衛星 で,優れた分光能力と広い観測エネルギー帯域(0.4-600 keV)を持ち,宇宙の 高エネルギー現象の解明が期待されている ASTRO-EII 計画に参加しています。 一方,地球物理学専攻の研究グループも,1989年に地球のオーロラ現象の謎の 解明を主目的とした打ち上げられ,現在も運用を続けている,科学衛星「あけ ぼの」(EXOS-D)(図3参照)や火星探査体「のぞみ」(PLANET-B)を始めとし, 今後の様々な宇宙観測計画(月:SELENE 計画(図4参照),水星: BeppiColombo 計画,金星:PLANET-C 計画,小型衛星: INDEX 計画など)に も重要な寄与が期待されています。
 スーパー SINET の構築は,これら東北大学の関わる科学衛星の観測データ 処理,衛星運用,衛星計画検討,研究集会の在り方に,大きな変化を与えよう としています。


図2 : 我が国初の本格的な赤外線天文衛星ASTRO-F。2003年度M-Vロケット6号機で打ち上げ予定です。この衛星は広い波長域ですぐれた空間分解能,検出能力で宇宙の赤外線現象(原始銀河の誕生と進化,原始星や原始惑星系形成)を観測する野心的な計画です。


図3 : あけぼの(EXOS-D)衛星は,地球のオーロラ現象の謎の解明を目的として,1989年に打ち上げられ,現在も観測を継続しています。東北大学の研究グループは,この科学衛星にプラズマ波動観測装置(PWS)と磁場観測装置(MGF)を搭載し,その観測結果からは多くの世界的研究成果が得られてきました。


図4 : 月の起源と進化の解明を目的としたセレーネは,宇宙科学研究所と宇宙開発事 業団の共同ミッションとして,2005年度の打ち上げを目指し準備が進められて います。全部で14の科学観測器が搭載されアポロ計画以来最大規模の本格的な 月探査が行われます。東北大学の研究グループは,HF帯電波を用いて月表面構 造及び表面から5kmまでの深度の内部構造を探る,月レーダサウンダー を搭載します。

1) 科学衛星データ処理における活用

 科学衛星等では,搭載される観測装置を,各大学等研究機関がそれぞれ分担し て担当し,開発するため,観測データも,多量の全観測データが関わる専門的 で詳細なものについては,担当研究機関がまずデータベースを構築し,データ 処理を実施します。東北大学では,まずこのスーパー SINET 宇宙科学を活用 して,科学衛星「あけぼの」に搭載されたプラズマ波動観測器によって得られ た宇宙空間プラズマ波動データのデータベースを完成させました。このデータ ベースは,1989年から現在に至るまでの14年間にわたる地球周辺の宇宙空間で 観測された多様なプラズマ波動の全データを処理したものです。太陽は約11年 周期(太陽周期)でその活動度を変化させていますが,それを超えてこのよう に長期にわたり同一の観測器が観測を続けたものは世界的にも例がなく,貴重 なデータベースとなっています。このようなデータベース完成が契機となって, 多量のデータの統計処理に基づいた,オーロラキロメートル電波(地球がオー ロラ現象に伴って宇宙に放射しているキロメートル帯の波長をもつ電磁波)の 太陽活動周期依存性の研究等のユニークな研究成果が生まれてきています。ま だ現時点では,東北大学においては,他機関のデータベースとリンクしたバー チャルデータベースは実現されていませんが,月探査計画 (SELENE) 等の今後 の宇宙観測計画のデータ処理においては,このような高速ネットワークの存在 が,すでにその前提として考えられており,各機関に分散したデータベースを ネットワークで結合して利用する解析環境の考えがより一般的になると考えら れます。

2) 衛星運用,衛星計画検討における活用

 東北大学の宇宙科学の研究グループからは,現在運用中の人工衛星の運用,ま た現在準備中の衛星計画の検討等で,大学院生を含めた多くの人員が日常的に 宇宙科学研究所に赴いてその活動に従事しています。このような活動は,もち ろん全国の宇宙科学分野の研究グループが協同で支えているものですが,今日 までの東北大学の寄与は非常に大きなものであると考えます。しかし,様々な duty 等からこのような活動への参加が物理的に困難な場合も多く,現在運用 中の科学衛星も,慢性的なマンパワー不足が生じている現状があります。スー パー SINET の構築は,これら科学衛星の運用形態に新たな可能性をもたらし ました。それは,宇宙科学研究所の所内と同じように東北大学内から実時間で データを見て,運用に参加することが可能となっている点です。実時間の衛星 運用参加は,このような高速専用線が存在して初めて可能です。東北大学の宇 宙科学研究グループは,今後の SELENE 計画, INDEX 計画において,観測デー タのリアルタイム伝送を含めたスーパー SINET を活用した新しい運用形態を 提案し,計画しています。
 宇宙飛翔体の開発では,打ち上げ前にも数多くの試験が行われます。スペース シミュレーションチェンバーなど宇宙科学研究所の施設を利用するこれらの試 験は,これまで長期間にわたる同研究所での滞在を前提としていました。しか し,このスーパー SINET によって実験データの実時間伝送が可能となり,学 内に居ながらにして実験に参加する新しい飛翔体試験形態が生まれています。 間もなく月探査体 SELENE の様々な試験データの実時間伝送が,この高速回線 を用いて行われる予定です。
 多くの研究グループが結集して行う宇宙探査体の運用や将来計画の検討は, 必然的に多くの会議,打ち合わせ,班会等を生みます。スーパーSINET宇宙科 学では,この点を踏まえて,開設とほぼ同時に拠点機関を結ぶテレビ会議シス テムを構築しました。東北大学でも,理学研究科附属惑星プラズマ・大気研究 センターに設置されたテレビ会議システム (NTT,Phoenix WIDEIII STB-TVCONF-E) を用いて,水星探査計画 (BeppiColombo) ,月探査計画 (SELENE) 等の宇宙ミッションに関わる様々な研究会,検討会が実施されてい ます。この高速専用線上に構築されたテレビ会議システムは,このような比較 的小規模の打ち合わせには実用上十分に満足できるレベルに達しており,非常 に有効な活用法の一つとなっています。

3) 研究会,シンポジウム,セミナー等の相互交流

 平成14年7月2日に宇宙科学研究所で開催された「 Geotail 運用会議並びに 次期磁気圏観測衛星研究集会」を皮切りに,比較的大規模な研究集会の,映像 を含めた中継も開始されました。このような,研究集会の中継は,討論に参加 する人数を倍増させ,活発な議論が展開される効果があります。また教育効果 という面でも,学内に居ながらにして参加した学生によい刺激を与えているよ うです。現在のところ,このような中継は,宇宙科学研究所で実施される研究 集会がその中心となっています。現状のテレビ会議システムでは,若干まだ大 人数の会議の中継には難点もありますが,今後,東北大学を始め,各大学から もこのような形での情報発信が増加し,相互の学術交流においても,スーパー SINET が,重要な役割を果たしていくことになると思われます。
 ここでは,簡単に触れる程度となりますが,このような宇宙観測にかかわる 利用以外にも,例えば大型計算シミュレーションにおける利用も重要です。宇 宙科学において大型計算シミュレーションは,宇宙科学が,宇宙という開放系 で,しかも因果関係が複雑に絡み合った複雑系の諸現象を,マイクロ秒から数 十億年にわたる時間スケールで(空間スケールでも同時に非常に広いレンジを 持ちます)取り扱うというその特徴から,実験観測,理論とは独立した固有の 重要性をもってきています。しかし,そのような大型シミュレーション研究は, 同時にその計算に伴って多量の入出力データが発生する為,複数の研究機関の 研究グループにおける共同研究として,計算コードを共有し,また共同でその 計算結果を解析する場合に,多くの制限が存在していました。スーパー SINET はこの制限を取り払い,ネットワーク上での大型シミュレーション共同研究を 可能としており,新しい研究形態を生みつつあります。東北大学でも幾つかの 宇宙現象が関わる研究テーマについてこの高速回線の積極的利用を計画してい ます。

最後に

 情報科学の技術進展には驚くべきものがあります。宇宙科学分野の研究活動 は,将にそれに大きく支えられたものとなっています。おそらく5--10年後に は,Gigabit 回線は一般的なものとなるでしょう。この高速回線をどこまで有 効利用できるかのテストケースの一つとして選ばれた宇宙科学分野は,他のプ ロジェクト分野とともに高速回線ネットワークの将来に対してその責任の一部 を担っていると認識しています。この様な認識に立って,この世界的に見ても 先駆的で貴重な研究インフラの有効利用を今後とも図って行きたいと考えます。 最後になりましたが,情報シナジーセンターを始めとする学内の関係者各位の これまでのご支援に対し深く感謝申し上げますとともに,創意あふれるご援助, ご協力を今後とも賜りますことをお願い申し上げます。