電子掲示板昔話

(財)高輝度光科学研究センター・放射光研究所(SPring-8) 八木 直人
yagi@spring8.or.jp

大型計算機の電子掲示板 (USER)

 コンピュータ上の電子掲示板のプログラムを私が最初に作ったのは, 大型計算機センターの ACOS1000 という大型計算機の上でした。 1985年10月でしたが,当時は地区協 (第二地区計算機利用協議会) という団体の活動が 活発で,その中で利用者からの意見を集めるのが目的でした。 もちろん実際には意見だけでなく,いろいろな「記事」 が載せられることになりましたが,本来の目的は意見集めだったわけです。
 ACOS1000 の OS は Unix と共通点の多い ACOS6 で, 特に電子掲示板のプログラム開発に使った C コンパイラーはベル研のものを そのままコピーしたらしく,エラーメッセージまで Unix と同じでした。 このプログラミングは楽しいものでしたが,この電子掲示板を SX-2 というスーパーコンピュータに移植するのは大変な作業でした。 OS は IBM 系の ACOS4 で,C コンパイラーは使い物にならず,結局 FORTRAN でプログラムを書きましたが,文字コードが ASCII ではなく EBCDIC だったり,OS の違いの大きさを思い知らされました。
 当時はまだ日本では電子掲示板はあまり普及しておらず, 手本になるようなプログラムもなかったので,ユーザーインターフェイスは 工学部 (現在は総合情報システム運用センター) の曽根さんと相談しながら 適当に決めました。 何人かの人に使ってもらって,手直ししましたが, このようなやり方は結果として非常に良かったと思います。 使う人の立場に立ってプログラムを書くのは決して易しくないので, 使ってもらいながら書く方が楽です。
 ACOS1000 の時代には,まだ漢字が使える端末はほとんどなく, 日本語の掲示はもっぱら半角カナを使っていました。 半角カナの入力には,ローマ字をカナに変換するプログラムを作って使っていました。 日本語フロントエンドプロセッサーと,工学部 (現在は宮城高専) の丹野さんの 端末プログラム KTERM の普及で,1987 年あたりから漢字の掲示が増えて, たちまち漢字の掲示だけになりました。

TAINS の電子掲示板 (BBMS)

 ACOS1000 や SX-2 の電子掲示板は,もともと大勢で同じ大型計算機を使っている 環境で作られたものでした。 したがって利用者 ID は既に管理されており,利用資格を問う必要はなかったのです。 ところが,TAINS に直接つながった電子掲示板を作ろうという話が出たときには, ID 管理が問題になりました。 匿名で ID を作れるなど利用者管理の点で不十分なものになることは 予想できたからです。 しかし,利用者管理を徹底させるにはそれだけの人手が必要で, それが得られる可能性はなかったので,出来上がった BBMS は利用者が自ら ID を作るというユニークな電子掲示板になりました。 このシステムがちゃんと機能したのは,東北大学の利用者の質の高さを示すものだと 思います。 東北大学という共同体がまだ機能しているというのは,大きな発見でした。
 BBMS のホストマシンは,日本電子計算(株)から NEWS-831 をお借りしました。 Unix 上でのプログラム開発は楽でしたが,はじめは CS を通して RS232C から利用する利用者がほとんどで,シリアル回線のプログラミングには苦労しました。 Unixではシリアルポートの操作のシステムコールが機種ごとに違っており, NEWS 上で動く手本になるプログラムがなかったからです。
 BBMS の M はメイルシステムで,これは Glenn Mansfield さんに 作っていただきました。 インターネット (junet) のメイルシステムとメイルをやり取りできるように しようということになりましたが,この部分は技術的には難しく, 現在もトラブルがあります。 またこの部分は BBMS の運用上唯一人手を介している部分なので,将来は インターネットメイルとの接続はやめることになるでしょう。
 BBMS は ACOS1000 の電子掲示板を土台にしていますが,計算機に関しては しろうとが利用することを前提として,徹底したメニュー方式にしました。 慣れてくるにしたがってショートカットキーを使えるようにもしましたが, これはシステム全体をあまり複雑にできないということを意味します。 したがって,階層型のカテゴリは諦めました。
 電子掲示板は,インターネットでいろいろな情報伝達ツールが使われるようになった 現在では,やや時代遅れの感じがします。 巷でも,商用 BBS よりも WWW のホームページの方が視覚に訴える分だけ マスコミの注目を集め易いようです。 画像情報の伝達は電子掲示板でも可能ですが,電子掲示板には HTML のような テキスト以外の情報伝達のための規格が生まれていません。 むしろ電子掲示板の良さは,telnet という計算機ネットワークの一番基本的な 機能を使って読み書きが出来る点にあります。 拡張され続ける HTML の仕様を見ていると,telnet の単純さが有り難く思えます。 将来の方向として,ユーザーインターフェイスを telnet から WWW 風に変えるという可能性もあります。 電子掲示板は一種のデータベースアクセスですから, 技術的にはこれはさして難しくはありません。 ただ,WWW 風にしたからと言って,特別なメリットがあるわけではありませんし, BBMS 上で HTML を試した限りでは, 画像情報に対する要求も意外と大きくないようです。

電子掲示板での議論

 電子掲示板で重要なのは,「書き込み可能」だということです。 これは「これこれについてご存知の方は教えてください」 のような質問をするときには非常に便利です。 データベースサーチのもっとも効率の良い方法と言えます。 さらに,ACOS1000 の電子掲示板が意見集めのために作られたと書きましたが, 意見を集めるだけでなく,利用者間の議論も可能だというのが, 電子掲示板の大きな特長です。 電子でない掲示板のように,単に何かを張り出して見たい人が見る, というのとは少し違うのです。 問題は,これがどのように生かされるかにあります。
 人間には議論好きと議論嫌いがいます。 言いたいことはあっても人前では言いたくないとか, 反論されるのが気に食わないという人もいます。 議論のための議論の好きな人,他人を揶揄するのが好きな人など, 世の中にはさまざまな人がいるので,一般に電子掲示板上での議論は収束せず, 物事を決めるのには向きません。 単に「世の中にはいろいろな意見があるものだ」 と認識する以上の役には立ちませんから, 結局一番面白いのは極端な意見ということになります。 しかし受けを狙った極端な意見ばかりになると,もう議論は全く成立しません。

SuperTAINS に関する極端な議論

 極端な意見が面白いという前提で,SuperTAINS について極端な意見を述べておきます。  SuperTAINS の末端には,TPDDI が来ていますが,現在では 100Base-TX のほうが同じ速度で (全二重にして使えば二倍の速度で 155Mbps の ATM よりも速い) はるかに安価になっています。 パソコン用のボードを見ても,10 倍もの価格差があります。 SuperTAINS の TPDDI は,バックボーンに TPDDI を持った 100/10Base-T の安価な HUB が出てくるまでは,使い道があるとは思えません。 ネットワーク機器は,今では TAINS88 が出てきたころに比べて 非常に安価になっています。 だからこそネットワークが誰にでも使える便利な道具になったわけで, ここで高価な TPDDI に移行するのは時代の流れに逆行します。 ほとんどの利用者にとって,10Base-T で速度は十分ですから, むしろスイッチングハブなどを適所に配置して,バックボーンに流れる トラフィックを減らすように努力するのが先決だったはずです。 ネットワークを絵に描くと,ついつい高速のバックボーンに目を奪われがちですが, 実際に利用者が使っている末端から考えはじめてネットワークを構築しないと, 利用者不在のネットワークになってしまいます。 問題の本質は,末端の利用者の関知しないところでいきなり大掛かりな ネットワークシステムが降ってくるという大学の体質にあるのでしょう。
 ところで,私のいた医学部では SuperTAINS は使いにくいという以前に 使えない状態にあります。 廊下の天井近くにある情報コンセントは,何にもつながっていませんし, コンセントレータやルータがどこに何台あるのか,ネットワークの運用担当者を含めて 誰も知りません。 誰も知らせようとしないからです。 もちろん,管理責任がどこにあるのかわかりませんから,誰も使うことはできません。 ネットワーク管理以前の問題があるような感じがします。
 SuperTAINS のバックボーンは贅沢なネットワークですが, これを生かすためには末端での努力が必要です。 天から降ってくる行政では,自分たちの生活環境を守れないのはもはや常識です。 これからのコンピュータネットワークは,「地方の時代」だと言えるでしょう。


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