WWWの発展はインターネットの爆発的な普及と,お互いに関連してきました。イン
ターネットが大学や企業の中でコンピュータ分野以外の人たちにも広がり始めたのが,
1993年ころです。ちょうどこのころに,ネットワークを使ってWWWを見るためのソフ
トウェア(これをブラウザと呼んでいます)であるモザイク(mosaic)も広まりはじめ
ました。
東北大学でも,1994年春にTAINS利用研究会の有志が
WWWの実験を始めました。TAINSにおける広報について,印刷形式での発行に代わる
ネットワーク的手段であるWWWによる情報提供の実験を行って,東北大学内での
WWWの利用促進に努めることを目的としたものです
(*1)。
ウェブページを他の人に見てもらうために,httpdサーバと呼ばれるプログラムを
コンピュータに仕掛けます。そのコンピュータをWWWサーバということがあります。
また,ウェブページのデータとして,HTML言語と呼ばれる文法にしたがって書いたコ
ンピュータファイルを用意します。TAINS利用研究会の有志グループは,www-admin
を組織して,TAINS利用研究会の実験用サーバであるakiuをWWWサーバとして,
WWWサーバの管理・運営を行いました。
akiu での httpd サーバの立ち上げは,亀山幸義さんと杉浦茂樹さんの両名によっ
て行われました。また,他の有志の方々も参加して,学内の他のWWWサーバの準備
によるノウハウの蓄積や,データの拡充整備も積極的に進めました
(*2)。
この実験を通して,東北大に広く,httpdサーバやHTMLの経験が
蓄積されて,今日に至る発展の基礎が築かれました。また,WWWに関連する実験と
して,httpプロキシサーバの実験を津田和俊さんが中心となって行いました。そ
の後も,TAINS利用研究会では,httpプロキシサーバの実験などを行っています。
1994年7月5日に,東北大学を代表するWWWサーバを意味するwww.tohoku.ac.jpの名
前をakiuに設定し,1994年9月9日に東北大学のWWWサーバとして www.tohoku.ac.jpを
学外にも案内し始めました。これが,学外への情報発信の始まりです。当時,この
サーバのトップページでは,WWWサーバを用意した学内各部局のウェブページを紹介
するリンク集や,仙台市を紹介する観光ガイドなどが掲載されました。
仙台市の観光ガイドのページは,かつて通研の助手をしておられた亀山幸義さん
(現在,京都大学情報学研究科)が,ホームページの管理者である
www-adminとして(財)仙台コンベンションビューローと相互協力の下,ビューローか
ら公開されている「仙台ひとり歩きMAP」その他のパンフレットを掲載したのがはじま
りだと聞いております。多くの人に東北大学のページに興味を持ってもらい,アクセ
スしてもらうために,設けたものだというのがその趣旨だったのでしょう。当時は,
このような本格的な街の案内がウェブページにあるのはまだ珍しい時代でしたので,
あちらこちらで出されていたウェブページ紹介に,このページのことが大きくとりあ
げられていました。
akiuは以前から,FTPサーバftp.tohoku.ac.jp として運用されていました。これは,
有志の方たちがftp-adminを組織して,自作の,あるいは世界中から集めたソフトウェ
アや資料などを公開し,多くの人々に利用してもらおうというものです。同様のFTP
サーバが学内にいくつかあり,「東北大学のインターネット資源」として提供されて
いました。さらに,探したいソフトウェアなどのファイルが学内のどのFTPサーバの
どこにあるのかを簡単に調べられるシステムである eihcra (えいこら) を情教セン
ターの助手だった伊藤彰則さん(現在,山形大学工学部)が作り,今でも杉浦茂樹さん
が作り直したものが重宝されています。
TAINS運営委員会の広報専門委員会が東北大学のホームページの運用を担当する
ようになりましたが,委員会としては,この体制が暫定的なものであるという認識
とともに,大学全体の広報活動の電子化を推進するためにできる限りの協力をした
いと考えていました。そこで,将来的な大学全体の広報活動の電子化への取り組み
や,WWWによる情報提供について関係する委員会や部局などへの働きかけ,調査など
の努力を始めました。
夏に入ると,各国から留学希望の問い合わせがwww-adminへ頻繁に舞い込むようにな
り,WWWによる広報が重要だということが感じられて,とりあえず,問い合わせ窓口の
案内をホームページに入れたりしました。学外の機関から,東北大学のトップページへ
のリンクを設けるという連絡も,増えてきました。
この頃まで,東北大学のトップページの中に「東北大学のWWWサーバ」の項目を設け
て,学内の部局や研究室などでWWWサーバを公開した連絡を受けてリンクを列挙し,広
報のお手伝いをしていました。その数が増え始めたので,1995年8月30日から,別に
「東北大学のWWWサーバ一覧」のページをつくり,そちらに各WWWサーバへのリンクを組
織ごとに整理して並べるようにしました。これに登録する規定を定めて,10月発行の
SuperTAINSニュースNo.5
にも掲載しました。
SuperTAINSニュースでは,TAINSにMacintoshやWindows95を接続するときの注意事項
や活用方法を広く知らせるために,TAINS利用研究会が主体となって特集号を企画しま
した。TAINS利用研究会はWWWでもページを作って公開しましたが,WWWによる広報の必
要性や効果を考えたものです。
最初のトップページをデザインした頃には,大学,企業ともに,文字だけか,せいぜ
いシンボルマークだけでウェブページを作るところがほとんどで,東北大学もそうでし
た。WWWの利用が広まるのと並行して,ネットスケープなどのWWWブラウザを使えば画像
表示のための多彩な機能を利用できるようになり,図案化した文字やイラスト,写真な
どを取り入れて視覚的にアピールするデザインが主流になってきました。委員会でも,
1995年12月頃から新規情報の整備を含めたデザインの改良について何度か試作品を作っ
て検討し,1996年 10月18日に東北大学のトップページのデザインを変更しました。
改良に当たっては,情報提供が本来の目的であるのでシンプルなもので良いとの考え
を基本としつつも,情報提供の効果を考えて,見る人の興味をひくために画像やレイア
ウトを工夫する流れも取り入れることになりました。そのため,有意義なページがある
ことに気づくように立ち止まってもらえること,また,訪れた方々の期待に広く応えら
れることを目指して,適度に画像を使うこととしました。実際のデザインでは,文字
(テキスト)だけの表示を見る人や,画像表示の機能が限られているブラウザを使って
いる人に配慮することや,あるいは,画像データの転送に時間がかかる回線を使っている
人に配慮して画像はできるだけ抑制的に使うことを基本的な方針にしましたが,この精
神はその後のデザイン変更でも引き継がれています。
改良したトップページでは,「TOHOKU UNIVERSITY」の飾り文字と虹色の区切り線を
使ったものになりました。写真を使うことも考えられ
ましたが,適当なものが見つからずに
見送られました。また,位置付けがSuperTAINS公開用から大学のトップページへと変わっ
てきたので,トップページに現れる項目の目次を整理しました。また,世界からのアク
セスに配慮して英語のページを先に表示するように改めました。
1996年4月1日にTAINSの運用などを担当する総合情報システム運用センターが発足し,
このセンターの運営委員会に設けられた広報専門委員会(委員長: 中野栄二教授(情科))
がTAINS運営委
員会の広報専門委員会を継承しました。トップページの暫定的な運営や,大学全体の
広報活動のWWW化への働きかけも引き継がれました。
インターネットの利用が一般市民にもますます普及して,WWWによる情報公開の有用
性が認められて広く行われるようになり,大学からの広報にも次々にWWWが取り入れら
れる時代になりました。1996年7月26日には東北大学新キャンパス構想のページ
が公開になり,1996年12月13日には入試用のパンフレットをもとに作られた東北大学案
内のページが公開されました。入試に関しては,翌年度は1997年10月29日から入
試情報のリンクを新設して募集要項などを掲載し,さらに合格者発表をWWWにも掲載し
ました。東北大学から学外へ向けて情報発信する初めての広報誌「まなびの杜」は,創
刊のときからWWWへの掲載を計画して,1998年2月26日に公開になりました。 「東北大
学教員の任期に関する規程」はWWWで広報することになっていて,1998年3月23日に公開
されました。
問い合わせのための連絡先もトップページに掲載され,1998年2月には新郵便番号の
ページも作られました。研究活動の広報では,本学の教官が実行委員長などをつとめ
る学会などの情報を広報するために,「東北大学の教官が関係する研究会」のページ
を作って,申請があれば掲載するようにしました。
このようにトップページがさまざまな情報の公開に活用されるようになった結果,
せっかく有用な情報が掲載されているのに,項目の配列や表示の統一性に欠けて,
大学のトップページとしてふさわしくないとの意見が聞かれるようになりました。
また,探したい情報を各部局,各研究組織のウェブページの中から一度に探し出せ
るようにしてほしいとの要望もありました。そこで,総合情報システム運用センター
の広報専門委員会では1998年7月にトップページの構成を再検討し,1週間ほどの集
中的な作業期間を経て,見やすい項目だてのデザインに改め,7月8日に切り替えま
した。