編集後記

■一ヶ月前に,アメリカで開かれたある国際会議へ参加してきました。最近の 多くの会議と同様に,会議場でCDROMや電子メールの閲覧のために,三十数台 のコンピュータが自由に使え,非常に快適な環境でした。しかし,日本語環境 は全くなかったため,私のほとんどのメールは読んでも分からない状態でした。 結局主催者と交渉し,自分が持っていたノートにネットワークを接続すること で問題を「解決」しました。五年前であれば,あきらめるしかなかったと思い ます。インターネットの利用技術が日進月歩の今,ホームページに画像ファイ ルを載せるのは当たり前になり,インターネット実況中継もたびたび聞き,携 帯電話も電子メールを受信できるようになっています。文字と共に音声と画像 情報が電子メールの世界の主役になるのは遠い将来でもないでしょう。しかし, いまのように一歩出ていくと,いわゆるインターネット世界には,無視できな いギャップがやはり存在しています。
 現在の多くのソフト(Netscapeなど)をみてわかるように,多言語対応をし ても,技術的には特に問題は存在しませんし,以前のようにディスク容量,メ モリおよびネットワーク資源を多用することの問題も緩和されています。コン ピュータによる通信システムは,私たちにとって日常不可欠となっていますの で,我々英語以外の言語(特にアジアの言語系)の利用者の要求も満足できる ようなシステムをコンピュータの世界の常識にするのは必要であり,これは我々 自身がいろいろな場で主張するしかないと感じています。でも考えみますと, これは古くからあった話ですね。
 最後に,ご多忙中に記事を書いて頂きました作者の方々に感謝致します。
(W)


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