東北大学のトップページの歩み

総合情報システム運用センター 曽根 秀昭
sone@tains.tohoku.ac.jp
電気通信研究所 鈴木 陽一
yoh@riec.tohoku.ac.jp
法学部 芹澤 英明
serizawa@law.tohoku.ac.jp

1 東北大学のトップページの移り変わり

 今や,WWW(ワールドワイドウェブ)はコンピュータネットワークの利用手段の代表 格になっています。WWWで見るために作ったページをウェブページといい,最初に見て もらうウェブページをトップページと言います。ホームページという言葉の意味は あまり確かでない状況が続いていますが,現在の東北大学のホームページに 携わっている人の間では,トップページ及びトップページからリンクしているページ を東北大学のホームページと言っています。多くの企業や大学などが,ウェブペー ジによる広報に力を入れています。東北大学のトップページ (http://www.tohoku.ac.jp/ で表示されるページ)は,かなり早い時期に有志によって始められ,最近までは総合情 報システム運用センター運営委員会の広報専門委員会が運用を担当してきました。
 昨年11月17日より東北大学情報基盤委員会の下にネットワーク広報専門委員会(世話 部局: 総務部広報調査課)が 置かれて,東北大学のトップページに関わる企画や運用などを担当することになりま した。これが,初めて東北大学のトップページを公式に担当する部署になります。こ の記事では,東北大学のトップページについて,生い立ちから現在までについて振り 返ってみます。

2 TAINS利用研究会による開設

図 1: 1994年9月ころのトップページ

 WWWの発展はインターネットの爆発的な普及と,お互いに関連してきました。イン ターネットが大学や企業の中でコンピュータ分野以外の人たちにも広がり始めたのが, 1993年ころです。ちょうどこのころに,ネットワークを使ってWWWを見るためのソフ トウェア(これをブラウザと呼んでいます)であるモザイク(mosaic)も広まりはじめ ました。
 東北大学でも,1994年春にTAINS利用研究会の有志が WWWの実験を始めました。TAINSにおける広報について,印刷形式での発行に代わる ネットワーク的手段であるWWWによる情報提供の実験を行って,東北大学内での WWWの利用促進に努めることを目的としたものです (*1)
 ウェブページを他の人に見てもらうために,httpdサーバと呼ばれるプログラムを コンピュータに仕掛けます。そのコンピュータをWWWサーバということがあります。 また,ウェブページのデータとして,HTML言語と呼ばれる文法にしたがって書いたコ ンピュータファイルを用意します。TAINS利用研究会の有志グループは,www-admin を組織して,TAINS利用研究会の実験用サーバであるakiuをWWWサーバとして, WWWサーバの管理・運営を行いました。
 akiu での httpd サーバの立ち上げは,亀山幸義さんと杉浦茂樹さんの両名によっ て行われました。また,他の有志の方々も参加して,学内の他のWWWサーバの準備 によるノウハウの蓄積や,データの拡充整備も積極的に進めました (*2)。 この実験を通して,東北大に広く,httpdサーバやHTMLの経験が 蓄積されて,今日に至る発展の基礎が築かれました。また,WWWに関連する実験と して,httpプロキシサーバの実験を津田和俊さんが中心となって行いました。そ の後も,TAINS利用研究会では,httpプロキシサーバの実験などを行っています。
 1994年7月5日に,東北大学を代表するWWWサーバを意味するwww.tohoku.ac.jpの名 前をakiuに設定し,1994年9月9日に東北大学のWWWサーバとして www.tohoku.ac.jpを 学外にも案内し始めました。これが,学外への情報発信の始まりです。当時,この サーバのトップページでは,WWWサーバを用意した学内各部局のウェブページを紹介 するリンク集や,仙台市を紹介する観光ガイドなどが掲載されました。
 仙台市の観光ガイドのページは,かつて通研の助手をしておられた亀山幸義さん (現在,京都大学情報学研究科)が,ホームページの管理者である www-adminとして(財)仙台コンベンションビューローと相互協力の下,ビューローか ら公開されている「仙台ひとり歩きMAP」その他のパンフレットを掲載したのがはじま りだと聞いております。多くの人に東北大学のページに興味を持ってもらい,アクセ スしてもらうために,設けたものだというのがその趣旨だったのでしょう。当時は, このような本格的な街の案内がウェブページにあるのはまだ珍しい時代でしたので, あちらこちらで出されていたウェブページ紹介に,このページのことが大きくとりあ げられていました。
 akiuは以前から,FTPサーバftp.tohoku.ac.jp として運用されていました。これは, 有志の方たちがftp-adminを組織して,自作の,あるいは世界中から集めたソフトウェ アや資料などを公開し,多くの人々に利用してもらおうというものです。同様のFTP サーバが学内にいくつかあり,「東北大学のインターネット資源」として提供されて いました。さらに,探したいソフトウェアなどのファイルが学内のどのFTPサーバの どこにあるのかを簡単に調べられるシステムである eihcra (えいこら) を情教セン ターの助手だった伊藤彰則さん(現在,山形大学工学部)が作り,今でも杉浦茂樹さん が作り直したものが重宝されています。


(*1) WWWが普及するより古くから,ネットワーク的な情報提供の手段としてgopher などの方法がありました。東北大学では,WWWの実験が始まる前から一部の部局で, 例えば,情報処理教育センターがgopherによる情報処理教育センター便りを 公開するなど,ネットワーク広報に取り組んでいたところもありました。
(*2) 1994年7月の時点で www-admin のメンバーは,亀山,伊藤,黒木,杉浦,金谷,小久保 の各氏でした。

3 SuperTAINSが始まる頃のWWW

 1994年春にSuperTAINSの整備が決まり,1994年7月にTAINS運営委員会は SuperTAINS計画の推進のために技術運用検討小委員会を置き,そのもとにいく つかの作業部会が設置されました。このとき,整備に関する広報を担当する部会と してWG-4を置きました。WG-4は,SuperTAINSの計画に関係するお知らせを学報 に連載するとともに,WWWによる広報の試みにも力を入れて,学報に掲載した原稿 を1994年12月4日からWWWでも公開しました。また,SuperTAINSの広報のために 「SuperTAINSニュース」を創刊・刊行すると同時に,1995年2月17日からWWWで も,刊行のたびに公開しました。これらのページは,www-adminの協力を得て,akiu 内で整備されました。
 さらに,1995年2月28日と3月1日に,SuperTAINSの完成披露と公開が,大型計算機 センターの行事と併せて行われました。このときに,WWWを使ってSuperTAINSと大型 計算機センターを紹介するウェブページを作成して,公開のために使いました (*3)


(*3) 公開のときのデモンストレーションの説明がSuperTAINSニュース No.2 に,報告が No.3 に掲載されています。

4 公式化の始まり

 1995年4月からTAINS運営委員会に, TAINSの広報を担当する広報専門委員会(委員長: 鈴木陽一助教授(通研))が置かれ,SuperTAINSニュースの編集もこの委員会の 担当になりました。
 この頃までには,東北大学におけるWWWによる情報発信について,既に多くの部局 (学部・学科・研究所等)でホームページを立ち上げていました。しかし,東北大学 全体の広報活動としてサポートする組織は未定でした。WG-4によるWWW広報の試み を踏まえて,TAINSの広報専門委員会がこの問題についてイニシアチブをとって いくべきであろうとの考えにより,東北大学のホームページやWWWサーバの運用な らびに学内および対外的な調整等に関して,この委員会がTAINS世話部局(当時 は,大型計算機センター)の協力を得て行うことになりました。仙台市観光ガイド にも,委員会として協力することになり,その後も折に触れて更新を続けました。
 一方,WWWの利用を促進するために有志と協調して柔軟に運用することとし,広報専 門委員会がwww-adminに加わりました。これまでのwww-adminのメンバーは,WWWサーバ の運用の実行を担当し,学内でのWWWの利用促進やデータの充実に努めつつ,プロ キシサーバなどの新しい試みなどに取り組む役割をもつようになりました。
 この頃にはホームページへのアクセス数の増加が勢いを増しました。委員会が担当す ることになったのに合わせて,WWWサーバ用に obara が用意され,1995年8月15日から 東北大学のトップページ http://www.tohoku.ac.jp/ が移りました。

5 WWWによる広報の支援

図 2: 1995年10月ころのトップページ

 TAINS運営委員会の広報専門委員会が東北大学のホームページの運用を担当する ようになりましたが,委員会としては,この体制が暫定的なものであるという認識 とともに,大学全体の広報活動の電子化を推進するためにできる限りの協力をした いと考えていました。そこで,将来的な大学全体の広報活動の電子化への取り組み や,WWWによる情報提供について関係する委員会や部局などへの働きかけ,調査など の努力を始めました。
 夏に入ると,各国から留学希望の問い合わせがwww-adminへ頻繁に舞い込むようにな り,WWWによる広報が重要だということが感じられて,とりあえず,問い合わせ窓口の 案内をホームページに入れたりしました。学外の機関から,東北大学のトップページへ のリンクを設けるという連絡も,増えてきました。
 この頃まで,東北大学のトップページの中に「東北大学のWWWサーバ」の項目を設け て,学内の部局や研究室などでWWWサーバを公開した連絡を受けてリンクを列挙し,広 報のお手伝いをしていました。その数が増え始めたので,1995年8月30日から,別に 「東北大学のWWWサーバ一覧」のページをつくり,そちらに各WWWサーバへのリンクを組 織ごとに整理して並べるようにしました。これに登録する規定を定めて,10月発行の SuperTAINSニュースNo.5 にも掲載しました。
 SuperTAINSニュースでは,TAINSにMacintoshやWindows95を接続するときの注意事項 や活用方法を広く知らせるために,TAINS利用研究会が主体となって特集号を企画しま した。TAINS利用研究会はWWWでもページを作って公開しましたが,WWWによる広報の必 要性や効果を考えたものです。

6 トップページのデザインの検討

図 3: 1996年10月ころのトップページ

 最初のトップページをデザインした頃には,大学,企業ともに,文字だけか,せいぜ いシンボルマークだけでウェブページを作るところがほとんどで,東北大学もそうでし た。WWWの利用が広まるのと並行して,ネットスケープなどのWWWブラウザを使えば画像 表示のための多彩な機能を利用できるようになり,図案化した文字やイラスト,写真な どを取り入れて視覚的にアピールするデザインが主流になってきました。委員会でも, 1995年12月頃から新規情報の整備を含めたデザインの改良について何度か試作品を作っ て検討し,1996年 10月18日に東北大学のトップページのデザインを変更しました。
 改良に当たっては,情報提供が本来の目的であるのでシンプルなもので良いとの考え を基本としつつも,情報提供の効果を考えて,見る人の興味をひくために画像やレイア ウトを工夫する流れも取り入れることになりました。そのため,有意義なページがある ことに気づくように立ち止まってもらえること,また,訪れた方々の期待に広く応えら れることを目指して,適度に画像を使うこととしました。実際のデザインでは,文字 (テキスト)だけの表示を見る人や,画像表示の機能が限られているブラウザを使って いる人に配慮することや,あるいは,画像データの転送に時間がかかる回線を使っている 人に配慮して画像はできるだけ抑制的に使うことを基本的な方針にしましたが,この精 神はその後のデザイン変更でも引き継がれています。
 改良したトップページでは,「TOHOKU UNIVERSITY」の飾り文字と虹色の区切り線を 使ったものになりました。写真を使うことも考えられ ましたが,適当なものが見つからずに 見送られました。また,位置付けがSuperTAINS公開用から大学のトップページへと変わっ てきたので,トップページに現れる項目の目次を整理しました。また,世界からのアク セスに配慮して英語のページを先に表示するように改めました。

7 大学の広報メディアへ

図 4: 1999年3月ころのトップページ

 1996年4月1日にTAINSの運用などを担当する総合情報システム運用センターが発足し, このセンターの運営委員会に設けられた広報専門委員会(委員長: 中野栄二教授(情科)) がTAINS運営委 員会の広報専門委員会を継承しました。トップページの暫定的な運営や,大学全体の 広報活動のWWW化への働きかけも引き継がれました。
 インターネットの利用が一般市民にもますます普及して,WWWによる情報公開の有用 性が認められて広く行われるようになり,大学からの広報にも次々にWWWが取り入れら れる時代になりました。1996年7月26日には東北大学新キャンパス構想のページ が公開になり,1996年12月13日には入試用のパンフレットをもとに作られた東北大学案 内のページが公開されました。入試に関しては,翌年度は1997年10月29日から入 試情報のリンクを新設して募集要項などを掲載し,さらに合格者発表をWWWにも掲載し ました。東北大学から学外へ向けて情報発信する初めての広報誌「まなびの杜」は,創 刊のときからWWWへの掲載を計画して,1998年2月26日に公開になりました。 「東北大 学教員の任期に関する規程」はWWWで広報することになっていて,1998年3月23日に公開 されました。
 問い合わせのための連絡先もトップページに掲載され,1998年2月には新郵便番号の ページも作られました。研究活動の広報では,本学の教官が実行委員長などをつとめ る学会などの情報を広報するために,「東北大学の教官が関係する研究会」のページ を作って,申請があれば掲載するようにしました。
 このようにトップページがさまざまな情報の公開に活用されるようになった結果, せっかく有用な情報が掲載されているのに,項目の配列や表示の統一性に欠けて, 大学のトップページとしてふさわしくないとの意見が聞かれるようになりました。 また,探したい情報を各部局,各研究組織のウェブページの中から一度に探し出せ るようにしてほしいとの要望もありました。そこで,総合情報システム運用センター の広報専門委員会では1998年7月にトップページの構成を再検討し,1週間ほどの集 中的な作業期間を経て,見やすい項目だてのデザインに改め,7月8日に切り替えま した。

8 新しい運用方針へ

 WWWによる大学の情報発信への要求が強まり,情報発信の強力な手段に位置付けられ るようになるに従って,東北大学としてWWWによる情報公開の体制を整えて対処してい くことが必要になってきました。すなわち,ホームページの運営について方針を明確に し,掲載情報のメンテナンスを行う組織を整備することが必要です。この問題について, 1998年7月に評議会の付託を受けて,東北大学全学的公式ホームページ検討ワーキング グループ(座長: 田中素香教授(広報委員長,経済))が総長の下に設置されました。
 ワーキンググループで検討した結果,情報基盤委員会の下に置かれるネットワーク 広報専門委員会が本学の公式ホームページの企画・管理を担当する委員会とすることな どを,10月に答申しました。ネットワーク広報専門委員会は,全学的委員会である広報 委員会とこれまでホームページの運営を担当してきた総合情報システム運用センター を結び付け,さらに公式ホームページを恒常的に利用する全学的委員会等も参加する ものです。これを受けて,ネットワーク広報専門委員会(委員長: 酒井惇一教授(広報 委員長,農))が,1998年11月17日に設置されました。
 ネットワーク広報専門委員会は12月10日にスタートし,審議・決定事項を実行に移す 行動組織である運用部会と,各部局等のホームページの実務を担当する運用担当者と運 用部会が連絡を取り合うための運用担当者連絡会を設置しました。また,「東北大学 ホームページの運用指針」を制定し,トップページはネットワーク広報専門委員会が 管理し,各部局のページは各部局が管理することなどを定めました。さらに,1999年 3月9日に,各部局がトップページからのリンクを申請する場合の手続きを定めました。 新しい体制や運用方針,及び手続きについては,3月26日にスタートした運用担当者連 絡会で各部局へ説明されました。
 ネットワーク広報専門委員会では,新しいトップページの作成について,全学的視点 からも見なおして,構成を検討しています。新しいデザインが1999年4月に登場するは ずです。同時に,東北大学のトップページと各部局との新しい関係も始動します。
 新しい体制がWWWによる東北大学の広報の推進に貢献し,社会における東北大学の評 価の向上に資することを願って止みません。もちろん,発信する情報の充実には各部局 のご尽力が欠かせません。今後もご協力くださいますようにお願い申し上げます。


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