遠隔操作ロボティクス

東北大学大学院工学研究科 小菅一弘
kosuge@irs.mech.tohoku.ac.jp
東北大学大学院工学研究科 竹尾光治
takeo@irs.mech.tohoku.ac.jp

1 はじめに

 Internetに代表される,近年のコンピュータネットワーク技術の進歩,普及は ロボット研究の分野にも様々な影響を与えました。なかでもロボットの遠隔操 作(テレオペレーション)技術はInternetの利用により,従来考えられていた宇 宙開発や原子力といった特殊な分野から,我々の日常生活に関わるような一般 的な分野への応用が考えられています。本稿では当研究室において行われてい る,コンピュータネットワークを利用したロボットの遠隔操作システムの研究 をご紹介します。

2 ロボットの遠隔操作

 ロボット(ロボットマニピュレータ)の遠隔操作(テレオペレーション)は,まだ 一般にはなじみの薄い技術ですが,ロボットに人間と同じような判断能力を持 たせることが困難な今日,ロボットの実作業への応用には欠くことのできない 技術となっています。ロボットの遠隔操作の代表的な例が図1 に示すマスタースレーブ式と呼ばれるシステムです。 マスタースレーブ式の遠隔操作システムでは,オペレータは手元におかれたマ スターアームを操作して,実際に作業を行うスレーブアームの運動を制御しま す。


図 1: マスタースレーブマニピュレータ

 このようなロボットの遠隔操作の歴史は古く,1940年代にまで遡ることができ ます。アメリカのArgonne国立研究所で放射性物質を取り扱うために開発され たものが最初の実用的な遠隔操作システムと言われています[1]。 このシステムは,図2のように人の操作するマスターアームの運 動が機械的なリンクを介して実際に作業を行うスレーブアームに伝えられる機 械式のシステムでした。機械式の遠隔操作システムは放射線環境下でも誤動作 することがないので,原子力プラントなど放射性物質を扱う必要のある場合に はいまだに用いられています。
 今日では,遠隔操作システムと言えば通常,電気信号を用いてマスターアーム の運動をスレーブアームに伝える,電気式のシステム(図3)のこ とを指しますが,この形の遠隔操作システムも1950年代には既に開発されてい ます [1]。以来,単に遠隔地において作業を行うためだけでなく,操 作者(オペレータ)の作業を支援するためのマン・マシンインターフェースとし ての研究が盛んに行われており,原子力や宇宙開発をはじめとして様々な分野 での応用が進められています。


図 2: 機械式遠隔操作システム

図 3: 電気式遠隔操作システム

3 コンピュータネットワークを介した遠隔操作

 あらかじめ決められたコマンドを送ってロボットを動かす場合とは異なり,遠 隔操作でロボットの動きを細かく操作するためには,毎秒500〜1000回程度デー タを送る必要があります。また,操作するためのデータ以外にもオペレータの いる場所(ローカルサイト)と実際に作業を行う場所(リモートサイト)で様々な データのやり取りをする必要があるので,遠隔操作システムを構築するために はそれなりに能力のある通信手段を用意しなければなりません。したがって, 同じ室内のように通信用のケーブルを直接引き回すことのできる場合はまだし も,となりの建物程度の距離であっても実際に遠隔操作システムを作り上げる ことは簡単なことではありませんでした。
 しかし,近年のコンピュータネットワークの発展により,ようやくこれらの問 題が解決され遠隔操作システムを手軽に利用できる状況になってきました。コ ンピュータネットワークを用いて遠隔操作システムを構築することの利点とし ては以下のような点が挙げられます。
  1. 場所を選ばない。
    現状では速度的に問題はあるものの,Internetを利用することにより相手 の場所を(ほぼ)選ぶことなくシステムを構築することができます。特に, PHSや携帯電話での 64Kbps のデータ通信サービスが利用できるようにな れば,移動しながらの遠隔操作もできるかもしれません。
  2. 標準的なインターフェースが定められている。
    EthernetやBSD Socket APIなどの標準的なインターフェースを用いること により,システムの構築を容易に行うことができます。
 ただし,コンピュータネットワークを利用するためには,解決しなければなら ない問題もいろいろとあります。なかでも通信遅れに関する問題は最も切実な 問題と言えます。もちろん,送信したデータが相手に到達するまでに有限の時 間がかかることは物理媒体を用いて通信を行う上では避けようのことであり, 通信遅れの問題は遠隔操作システムにおいても古くからの研究テーマで,様々 な解決策が提案されています。しかし,いずれの方法でも遅れ時間は一定であ ることを仮定しているため,ネットワークのように遅れ時間が変化する状況で は安定した操作を実現することはできませんでした。

4 仮想遅れ時間を用いた遠隔操作システムの構築

 通信の遅れ時間に関する問題は,マルチメディア(映像,音声)通信でも問題と なっており,通信経路上で予め通信帯域を予約する方法(RSVP)などが考えられ ていますが,そもそもInternetの基盤となっているIP(Internet Protocol)自 体が通信の実時間性を保証していないので根本的な解決は難しいと思われます。
 そこで,我々の研究室では現在のネットワーク環境において,通信遅れの量が 変化しても安定性を損なうことなく作業を行うことができるような遠隔操作シ ステムの構築法を提案しています。我々が提案している方法では, 図4のようにネットワークを介して異なった遅れ時間を持って到着す るデータを図5のように,バッファにためることで全てのデータが 仮想的に定められた一定の遅れ時間を持つように調整します。このようにする ことで,従来から用いられてきた遠隔操作システムをそのまま適用することが できます。


図 4: ネットワークによる通信遅れ

図 5: 仮想遅れ時間の概念

 ここで問題となるのが,仮想的な遅れ時間をどのように定めるかです。ネット ワーク上の通信の遅れ時間が予測できないと言っても,短い時間に 限れば図6に見られるように,ある程度かたまった範囲に分布してい ると考えられるので,これらの遅れが含まれるような時間とすればよいことに なります。より長い時間の範囲では,遅れ時間の分布も変化するので仮想的な 遅れ時間より実際の遅れ時間の方が長くなることもおこります。その場合には 仮想的な遅れ時間を順次変化させて仮想的な時間遅れが実際の時間遅れよりも 長くなるように保ちます。


図 6: ネットワークを介した通信の遅れ時間

5 環境予測型遠隔操作システム

 仮想遅れ時間を用いた遠隔操作の応用として,我々の研究室で開発したものが 環境予測型遠隔操作システム(図7)です。遠隔操作で遅れ時間が 大きくなると,ビデオ映像等でリモートサイトの作業の様子を見ることができ ても,オペレータは自分の作業結果をすぐに確認することができません。この ような場合,スレーブアームの動きを確認しながらマスターアームを少しずつ 動かして行くと確実に作業を行うことができますが,効率良く作業を行うこと ができません。また,このような作業の仕方では転がっているボールをつかむ といった,運動している物体に対する作業を行うことは非常に困難です。
 環境予測型遠隔操作システムは,
  1. 仮想遅れ時間に基づきネットワークにおける通信遅れを補償した遠隔操 作サブシステム
  2. スレーブアームの作業状況などリモートサイトの状況を伝送する画像通 信サブシステム
  3. 通信遅れを考慮して,スレーブアームや作業対象の運動を予測し,コン ピュータグラフィクスを用いてオペレータに情報を提示する環境予測サブシス テム
から構成されています。オペレータは環境予測サブシステムにより,現在のマ スターアームへの入力に対するスレーブアームの運動をすぐに確認することが できるので実際にスレーブアームが動くまで待たずに作業を進めることができ ます。実際の作業状況は画像通信サブシステムにより送られる画像により確認 することができます。
 また,環境予測サブシステムはリモートサイトにおいて,ビデオトラッカー等 のセンサにより対象となる物体の運動データを得て,物体の未来位置を予測し て表示するので,時間遅れがある場合での運動する物体に対して作業を行うこ とが可能です。


図 7: 環境予測型遠隔操作システムの構成

6 ユーザフレンドリな遠隔操作システムの開発

 遠隔操作システムを広く利用する上で問題となるのことの一つに,操作の難し さをあげることができます。従来の遠隔操作システムではアームの行う運動 の全てをオペレータが操作する必要があるため,実際に遠隔操作システムを用 いて作業を行うためには十分な慣れが必要となります。コンピュータで言えば CLI(Command Line Interface)のみしかないと言ったところでしょうか。コン ピュータがGUI(Graphical User Interface)を使って直感的に操作できるよう になって,ようやく一般の人たちが使うものとなったのと同じように,遠隔操 作システムもより広く使われるようになるためにはユーザーフレンドリなイン ターフェースを持つ必要があると感じて現在開発しているのがVISIT(Visual Interface System for Interactive Teleoperation)と呼んでいるシステムで す。


図 8: VISITを用いた遠隔操作

 VISITは,

  1. コンピュータ画面上でマウスなどのポインティングデバイスを用いてオ ペレータと対話的な処理を行うGUIモジュール
  2. 画像処理技術を用いて,作業対象となる物体の形状や位置を計測し,ロ ボットを動かすためのデータを得るための画像処理モジュール
  3. 画像処理モジュールより得られた作業対象の形状や位置に関する情報と 作業をどのように行うかという知識(技能)を集めたデータベースから ロボットへの指令を生成するITEM(Interactive Task Execution Modules)
  4. ITEMからの指令に基づき,リモートサイトにおいて実際にロボットを動 作させるための運動制御モジュール
から構成されます。各々のモジュールは別々の計算機上に構築されており,コ ンピュータネットワークを介して通信を行うことで必要とするデータを交換し ます。
 VISITを用いた遠隔操作では,オペレータはマスターアームを用いて動作の指 示を行うのではなく,図8のようにコンピュータの画面上に表 示される画像上で作業対象となる物体を指定し,予め用意されたメニューから 必要とする動作を選択することで作業を指示します。メニューとして用意され る動作は``つかむ''や``動かす''といった比較的単純なもので,複数の動作を 組み合わせることで目的とする作業を行います。個々の作業をどのようにして 行うかはITEMにより決定されるので,オペレータが作業に関して細かい指示を 出す必要はなく,遠隔操作に関する特別な知識がなくても作業を行うことがで きます。
 現在はプロトタイプシステムを用いて,ブロックをつかんで移動させると言っ た簡単な作業を行わせることができていますが(図9), より幅広い作業を行わせるためには,様々 な動作についてのITEMを作成することが課題となっています。


図 9: VISITを用いた作業の一例

7 おわりに

 現在,国内外で様々なグループがInternetを用いた遠隔操作システムの研究を 行っていますが,各々のグループが独自のプロトコルを用いてデータを交換し ているため,InternetというOpen Standardな技術を使いながらも相互に接続 して作業を行うことはできません。誰でも利用することのできる標準的な枠組 みを作っていくことがこれからの大きな課題と言えるでしょう。
 他にも,今日のInternetをめぐる環境を考えると,Internetを介した遠隔操作 システムを実際に利用するためにはセキュリティなど解決しなければならない 問題がたくさんあります。ネットワーク技術も日々進歩しているので,新しい 技術を利用しながら,より使いやすい遠隔操作システムを構築して行きたいと 考えています。

参考文献

[1] Thomas B. Sheridan, ``Telerobotics, Automation and Human Supervisory Control,'' The MIT Press, 1992


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